浜松市の本田宗一郎ものづくり伝承館、勇気と元気をもらえる是非訪れたい施設!

浜松だより

こんにちは、カービーです。

本田技研工業の生みの親、本田宗一郎の故郷である浜松市天竜二俣に、彼の生き様や挑戦の歴史を伝える『本田宗一郎ものづくり伝承館』があります。

浜松の北部の山あいにある“小さな博物館”とのネット情報で危うく素通りしかけましたが、二俣に行った際に訪問してみると想定外の素晴らしい施設!

世界に冠たるホンダを築き上げた宗一郎の情熱と凄みが感じられ、
とっても勇気や元気をもらえる、
是非みんなに訪れて欲しい場所でした。

今回は本田宗一郎ものづくり伝承館についてお伝えします。

本田宗一郎の生い立ち

本田宗一郎は1906年(明治39年)11月17日に磐田郡光明村(現在の浜松市天竜区)に鍛冶屋の家の長男として生まれました。

15歳で地元の二俣尋常高等小学校を卒業後に、東京の湯島にある自動車修理工場「アート商会」へ丁稚奉公。

アート商会に6年間勤務し、働きぶりを社長に認められ、社員でただ一人のれん分けを許される。

そこで地元に戻りアート商会浜松支店を設立し独立。

その後の第二次大戦終結直後には浜松に本田技研工業を設立

その後の会社の成長ぶりは万人の知るところです。

1991年(平成3年)8月5日に84歳で没するまで、生涯一技術者として、また日本を代表する起業家・経営者として、日本の産業史に名を刻みました。

宗一郎の入ったアート商会

本田宗一郎、持ち前のチャレンジ精神で四輪参入

本田技研工業は日本の四輪メーカーとしては最後発組です。

それでもチャレンジ精神旺盛な宗一郎は、まずは投資が少なくて済む二輪の開発・製造から着手し、そこで力をつけて四輪参入を目指します。

ところが通商産業省(当時)は既存四輪企業の利益を守るという趣旨で、自動車メーカーの新規参入を認めない法案整備を考えていた!

通産省は本田の四輪参入を思いとどませる様に圧力を掛けてきましたが、宗一郎はこれを断固拒否。

紆余曲折を経て四輪車の開発を進め、ついに本田は四輪参入を果たします。
(結局法案は宗一郎のメディアを含めたあらゆる働きかけもあって廃案に)

国をも敵に回しかねないところで引かない宗一郎の意志はまことにアッパレ。

宗一郎の不屈のチャレンジ精神は彼の生涯の言動の中で随所に見ることができます。

宗一郎のチャレンジ精神と本田技研工業の躍進

宗一郎のチャレンジ精神は本田の社風ともなり、新しい挑戦などにより会社は大きく躍進していきます。

会社設立直後にも拘わらず臆せず世界に打って出て二輪レースに参戦。

その後もF1参戦など、世界一への戦いにどの日本他社よりも早く挑戦。

多くの優勝を重ねて、技術力とホンダブランドを世間に示す結果となります。

いまや二輪車販売台数では圧倒的な世界一。

四輪でも後発ながら、米国市場へのいち早い取り組み、新環境対応エンジンでの成功などで先行する他社を追い抜き、日本メーカーの中ではトヨタに次ぐ2位にまで上り詰めています。

二輪・四輪意外でも芝刈り機シェア世界一など汎用機でも主要プレイヤー。

難易度の高い航空機でも参入に成功、ホンダジェットはいまや小型ジェット機カテゴリー出荷数で世界一

航空機は宗一郎の夢だったそうですが、彼のDNAを引き継いだ後輩たちが様々なチャレンジに挑みホンダを躍進させてきました。

本田技研設立前からレースに参加(1934年)
マン島TTレース(二輪)出場宣言文はまるで宣戦布告の様 未知の海外レースに挑戦に自らを奮い立たせる
F1で早くから優勝

本田宗一郎ものづくり伝承館でものづくり精神を伝える

本田宗一郎が”世界のホンダ”を築き上げた軌跡を伝えるのが本田宗一郎ものづくり伝承館。

“本田宗一郎の業績を顕彰するとともに、人間本田宗一郎の人となりや、ものづくり精神を多くの皆さんに伝えていく”というのが当館の趣旨書。

建物は国の登録有形文化財にも登録されている旧二俣町役場を改装したもの。

運営は浜松市の委託を受けたNPO法人本田宗一郎夢未来想造倶楽部が行っていて、多くのボランティアの方が携わっています。

小ぶりの2階建ですが、創業当初の頃のバイク展示、写真、パネルなどで宗一郎の思いが伝わってくる、非常に良く練られた展示施設す。

旧二俣町役場の伝承館

ものづくり伝承館1階で本田宗一郎がわかる

1階では本田宗一郎の生き方やものづくりの歴史がわかる年譜や写真、初期のバイクなどが展示されています。

宗一郎のエピソードがふんだんに盛り込まれていて興味深く鑑賞することが出来ます。

【私の手が語る】
「ハンマーをふるうのは右手、左手は陰になっていつも犠牲になる・・・」とのコメントとともに、宗一郎の左手の大きな写真。

仕事を通して付いた多くの傷と、その傷にまつわるエピソードが紹介されています。

生涯一技術者を自任した宗一郎の仕事への向き合い方が窺えます。

傷だらけの宗一郎の左手

【本田宗一郎のあゆみ】
宗一郎の生涯を年表で紹介しています。

【本田宗一郎の名言】
本田宗一郎が残した数々の名言やエピソードをパネル展示で紹介しています。

「世間で言う悪い子に期待している」
「当社は絶対に他の模倣をしない どんなに苦しくても自分たちの手で日本一、いや世界一を」
など、いかにもやんちゃな宗一郎らしい、しかし強い気持ちの籠った真実の言葉が並んでいます。

いかにも宗一郎らしい言葉

【車両展示】
本田宗一郎が開発に関わった古い車両を中心に展示されています。

ホンダコレクションホール(ホンダ公式博物館)所有の車両も借りて、不定期に入れ替えも行っているとのこと。

初期のホンダの代名詞のドリーム号、世界一の販売台数(2017年に1億台達成)のカブなど、綺麗な保存状態のものを間近で見ることができます。

ホンダドリーム
スーパーカブ 累計1億台以上!
今のカブになる前の形のモデル
初めてエンジン・車体をホンダ独自で作ったC型
ホンダドリーム4E型(1954年) 私のお気に入り メチャクチャカッコイイ!

ものづくり伝承館の2階とミュージアムショップも見所豊富

2階には宗一郎に関する展示のほかに、図書スペース、展示スペースなどがあります。

図書スペースでは、本田宗一郎関連・ホンダ関連の書籍が閲覧可能。

展示スペースでは、地元のアーティスト・地元の工芸品などの展示が行われており、値札もついていて実際に購入可能。

地元の作者の竹かご(販売中)
地元の木工品も販売

1階入り口横にはミュージアムショップ。

本田宗一郎に関するグッズ、浜松市や天竜区の工芸品、物産などが販売されています。

過去の名車(二輪車)の素敵なイラストもたくさんあってバイクファンには垂涎もの。

他にもマニアが好きそうな小物が多く並んでいます。

入口から入ったところのショップ
美しいイラストも多数

基本情報

本田宗一郎ものづくり伝承館

所在地:静岡県浜松市天竜区二俣町二俣1112
電話:053-477-4664
休館日:月曜日・火曜日
 ※祝日の場合は開館(水曜日を休館)
開館時間:10:00~16:30
観覧料:無料
駐車場:館前に無料駐車場あり

まとめ

本田宗一郎ものづくり伝承館は小ぶりの建物の中に、宗一郎のチャレンジ精神、モノづくりへの情熱が詰め込まれた練りに練った展示施設。

宗一郎の人柄や生き様が分かり易く、過不足なく伝わってきます。

ここを見学するとまるで宗一郎に触発される様に、不思議と挑戦への意欲や勇気を駆り立てられ、同時にジワジワと元気が湧いてくる感じ。

若い方仕事に悩む方ならきっと「目から鱗」がたくさんあるでしょうし、誰が見ても楽しめる施設だと思います。

こんなに元気をもらえる博物館はなかなか無い!(しかも観覧無料)

皆さんも是非一度訪れて見てください!

アシモ君がお出迎え
宗一郎は日本将棋連盟から免状ももらっていた!

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