地元民が解説、浜松まつりで失敗しない観光ガイド!今年は松本潤も登場

浜松だより

こんにちは、カービーです。

毎年5月3日~5日に開かれる浜松まつり。

ゴールデンウイークの風物詩的イベントになっていたものの、新型コロナの影響で2020、21年は中止、2022年は開催したものの凧揚げは無観客となるなど、規模をかなり縮小してのものでした。

それが今年はなんとかコロナも落ち着き、4年ぶりにフルスペックの浜松まつり!

加えて5月5日には大河ドラマ「どうする家康」に因んで、松本潤さんが参加しての「浜松まつり家康公騎馬武者行列」も行われ、GWの浜松は大いに盛り上がりそう。
武者行列情報⇒ https://hamamatsu-ieyasu.com/news/detail.html?p=1827

今回は浜松まつりを訪れる方への観光ガイドとなるよう、その歴史や見所となる「凧揚げ糸切り合戦」「御殿屋台(ごてんやたい)引き回し」「練り」の情報についてお伝えします。

浜松まつりの歴史

始まりは凧揚げ

浜松まつりの起源は、一説では永禄年間(1558~1569年)に引間(浜松の旧名)城主の長男誕生を祝って凧を揚げたこと。
(家康が岡崎から浜松に移ったのが1567年なので、その直前ということでしょうか?)

明確に記録に残っているのは寛政年間(1789~1800年)の凧揚げで、これにより江戸中期を起源とする説も有力な様です。

江戸から明治に入って浜松の職人町に消防組が組織され、各町の消防組の若衆が対抗しての凧合戦が行われるようになりました。

糸切り合戦(凧の糸を絡めて相手の凧糸を切る)が始まったのもこの頃で、こうした凧揚げの盛り上がり、旧来からの子どもの誕生を祝う「初凧」の伝統が相まって、凧揚げ祭りが定着していきます。

浜松まつりの発展

1950年(昭和25年)には初めて「浜松まつり」が正式名称となります。

ここから浜松市は行政として、戦後の再興を狙って浜松まつりを観光イベントとして強力に推すようになり、1970年(昭和45年)には市・観光局・商工会などを中心に浜松まつり本部が組織されます。

これにより、1975年以降には参加町が増え続け、当初は市中心部の50町ほどで行われていたものが、わずか30年の間に112町もの新たな町が加わることになります。

こうして浜松まつりは規模も人気も急拡大、全国でも屈指の人出を誇るイベントとなりました。

浜松まつりの最大の目玉は凧揚げ合戦

凧揚げと遠州のからっ風

浜松まつりの目玉は何といってもその発祥の元となった凧揚げ合戦。

祭り期間中の午前10時~午後2時頃に、凧揚げ会場(凧場<たこば>と言います)となる中田島砂丘(日本3大砂丘の一つ)の遠州灘海浜公園で、子供連の凧揚げ、大凧の糸切合戦などが繰り広げられていきます。

静岡県西部地方は冬場から春にかけて「遠州のからっ風」と呼ばれる強い風が吹く、凧揚げにはうってつけの気候環境があり、この風のおかげで凧揚げが遠州各地で人気のイベントとなり、浜松以外にも横須賀凧(掛川市の横須賀)なども有名になっています。

凧場の中田島砂丘は海沿いの風が吹き抜ける所にあり、凧揚げには特に適した場所と言えるでしょう。

ちなみに凧場には一般の駐車場はなく、浜松駅との間で運行されているシャトルバスを利用することになります。
*凧場への遠鉄バスシャトル⇒ https://entetsubus.lekumo.biz/news/2023/04/2023-520a.html

*詳しい会場案内図はこちら⇒ https://hamamatsu-daisuki.net/matsuri/access/

大凧は畳8畳の大きさのものもあり

浜松まつりで使われる、組、連などと呼ばれる町単位で用意される凧の大きさは2帖から10帖(1帖=約1.28㎡、畳1畳は1.62㎡)で、10帖の凧の大きさはほぼ畳8畳もの大きさです!

凧揚げ合戦に多く使われるのは正方形の4帖(2.4m四方)、6帖(2.9m四方)がメイン。

細かい骨組みで頑丈に作られていて、中心から大きく尾骨(骨組み)が下に突き出し、普通の凧と比べて重く、糸切り合戦用に改良されたもの。

糸切り合戦では町同士が「オイショッ」「オイショッ」の掛け声とともに、糸を絡ませ引き合って相手の凧の糸を切っていく(切られた凧は落ちてくる)さまは勇壮で迫力満点。

喧嘩凧などとも呼ばれる凧合戦は必見です!

初凧は初子のお祝い

組、連で用意する大凧に加えて、初節句を迎えた子供(初子<はつご>と呼んでいます)のいる家からは初凧(はつだこ)が提供されます。

初凧は鶴亀・日の出などの縁起の良い絵柄に子供の名前と家紋が描かれていて、祭りの初日(5月3日)に初子や家族とともに凧場で揚げられます。

かつては初めての男子誕生で初凧を用意することが普通でした(親類が凧を贈るケースも多かった)が、最近では少子化の影響で長男だけでは町内に初子がいないケースが頻出。

また長男がいても数十万円もする凧の費用を誰でも簡単に用意できる訳でもありません。

このため次第に間口を広げ、長男以外の男子や女子、さらには町外に住む孫なども対象に初凧を確保する所も出てきています。
(お祝い事でもあり、各町とも初凧は何としても毎年揚げたいもの)

街中に貼られた浜松まつりのポスター

浜松まつり御殿屋台引き回し

御殿屋台は山車(だし)の屋台の一種で、町ごとに異なる豪華な彫りもの、提灯、幕などで飾られています。

御殿屋台の始まりは、かつて凧揚げから帰る若衆を迎えるために、芸者衆が底抜け屋台(床のない屋台=ハリボテみたいなものですね)を造って練り歩いたのが始まりということ。

芸者衆の若衆の出迎え方がとても粋で、その心意気がカワイイですよね!
(自分が当時の若衆だったらさぞ嬉しかっただろうなぁー、と思わず想像してしまいます)

浜松まつりの屋台で演奏される囃子に笛、和太鼓、鐘、三味線からなる小唄が多いのも、当時からの芸者衆の関わりが大きいことから。

御殿屋台引き回しは夕方6時半頃から行われ、各町内での引き回しに加えて、浜松駅北側中心街に各町の屋台が集結する市中引き回しもとても華やかです。

市中心部での屋台引き回しルート https://hamamatsu-daisuki.net/matsuri/access/

浜松まつりの激練り

祭り初日(5月3日)の夜に、初凧を提供した(初子がいる)家が凧揚げの労をねぎらって組衆に酒と御馳走を振る舞います。

その際に施主や初子のまわりで提灯を持って整列をし、ラッパ隊(ラッパを吹く係をそう呼ぶ)の演奏に合わせて「オイショッ」「オイショッ」の威勢の良い掛け声とともに摺り足で「初練り」が行われます。

これが練りの皮切りとなり、やはり振る舞い酒を出してくれる商店や会社、神社などでも練りが行われます(凧場などで練ることもあり)。

練りは押しくらまんじゅう状態の激しいもので、見ているだけでも迫力が伝わり、最近では「激練り」などと呼ばれて観光客からも注目されています。

まとめ

毎年ゴールデンウイークの5月3日~5日にかけて開催される浜松まつり。

中田島砂丘の遠州灘海浜公園の凧場に畳何畳分もの大凧がたくさん揚がり、糸を絡めて激しく切り合う勇壮な「凧揚げ糸切り合戦」の光景は他では見られない必見モノです!

夜には街中で展開される「御殿屋台引き回し」と「練り」が、これまたかなりの熱量で祭りはヒートアップ。

これに「オイショッ」「オイショッ」の掛け声、ラッパ隊の進撃ラッパ、芸者衆から伝わった三味線・笛・太鼓のお囃子が音で彩を沿え、いつまでも耳に残るリズムで祭りを盛り上げます。

まだGWの行き先が決まっていないのであれば、血沸き肉躍る浜松まつりへのお出かけも検討されたらいかがでしょうか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました