浜松市中区の隣接する2つの施設、浜松市博物館と蜆塚遺跡。
旅先では美術館・博物館によく行くのに、地元にある博物館はなかなか行かないもの。
浜松市博物館には、意外と浜松市民も知らない地域の歴史や文化が学べます。
浜松市博物館と蜆塚遺跡をご紹介します。
浜松市博物館と蜆塚遺跡で浜松市の歴史を学ぶ
浜松市博物館概要
住所 浜松市中区蜆塚四丁目22-1
電話番号 053-456-2208
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日(休日の場合は開館)・祝日の翌日
観覧料 常設展 大人310円/高校生150円/小中学生無料
駐車場 博物館前、隣接の蜆塚公園に無料駐車場
浜松市美術館/浜松市 (city.hamamatsu.shizuoka.jp)
蜆塚遺跡には縄文時代の住居と貝塚
博物館に隣接する蜆塚公園にある国指定史跡。
国指定遺跡などとは全く知りませんでした。
縄文時代後・晩期(約4,000~3,000 年前)の住居跡や墓地が並び、貝塚が四ヶ所で見つかる。
貝塚のひとつは、発掘調査当時のまま保存され、ガラス越しに貝殻の堆積やその間にはさまれている動物の骨や遺物を観察できる。
住居跡も再現されています。
浜松市博物館で浜松の昔を学ぶ、ナウマンゾウもワニもいた!
ナウマンゾウ、ワニ、ツキノワグマ
浜松市博物館に入ってすぐにナウマンゾウ(43万年前~3万年前)の骨格標本がドンと置かれています。
「えっ!浜松にナウマンゾウが居たの?」と驚いていると、やはり浜松で出土したワニの化石、ツキノワグマの骨などが並びます。
ジュラシックパークの様な世界が、今住んでいる地域に展開していたかと思うととても不思議な感じがします。
縄文人はけっこう長生きで歯も丈夫?
また目を引いたのが縄文時代(4000年前~3000年前)の人骨たち。
全身の骨がしっかり残っている人骨標本は推定70歳没。
「明治、大正の頃までは人生50年とか良く言われていたけれど、なんのことはない、病気とか事故とかなければ縄文時代の人でもけっこう長生きできたようだ、と新鮮な発見。
また腕には貝でできたリングをしていたそう。オシャレ!
続いて頭蓋骨が2つ。
犬歯を若いうちに抜いていて、抜いた後はきれいに治っていた、との説明。
うーん、これもまたどういう治療がされたのか、不思議な感じ。
犬歯をそのままにしておくと何か具合の悪いことがあったのか?
昔の人の犬歯は、ほんとうに犬の歯の様な牙状だったのか?伸びすぎて皮膚を破るとか?想像はいろいろ膨らみます。
また男性の歯は明らかに健康そうな歯で、治療跡の多い私の歯よりもよっぽど綺麗だ。
甘いものもなかったろうから虫歯にもならなかったのか?私は縄文人に負けている。
弥生人は戦争好き
“弥生時代は戦争が多かった”とありました。
もう稲作は始まっていた頃だと思うが、いったい何のために争っていたんだろう?と思う。
やはり領土問題なのか?
よくはわからないが、人間はついつい戦争をしてしまう生き物の様です。
また当時の「よろい」が再現されて展示されている。
祭事用だろう、ということだけれど、デザイン、色目、かなりカッコいい。
ちょっとアレンジすれば、現代の若者が買いそうなバックパックにでもなりそうだ。
弥生時代の銅鐸出土は浜松が日本一
銅鐸(弥生時代)の出土は浜松が全国で最多とのこと。
こんなことも全く知りませんでした。
浜松各地にある型式の違い、出土場所がわかり易く表示されていて、身近な場所だけに興味をそそられます。
戦国時代以降の浜松ゆかりのものも学べます
もちろん、戦国時代以降のものも展示されています。
徳川家康ゆかりのものや、「女城主直虎」井伊直虎の書状、やはり浜松出身の賀茂真淵(本居宣長などの多くの弟子を育てた)の書などが並んでいます。
さらには近世の生活用品や工業製品(織機や楽器)などもあって、なかなか見応えがあります。
身近にあり過ぎてついついスルーしてしまっていたけれど、知っている様で知らない(あるいは昔学んだけれどもすっかり忘れている)ことは多いものです。
地元の名所・旧跡、美術館や科学館など、地元にあってもなかなか行けていない色々な施設を覗いてみると新たな発見がありそうです。
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