【どうする家康】瀬名(築山殿)は悪女なのか?なぜ家康に殺害される?

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こんにちは、カービーです。

大河ドラマ「どうする家康」の放送がスタート。

初回でクローズアップされたのは松本潤さん演じる家康と、有村架純さん演じる瀬名(築山殿)のお似合いのカップルの姿。

無邪気な二人の馴れ初めから結婚(有村架純さんの白無垢姿は可憐でとても素敵でした)、そして出産と仲睦まじく暮らす様子が描かれました。

しかし幸せそうな二人を見ると猶更、後に家康の命によってわずか38歳で浜松で命を落とす瀬名の運命を思い切なくなります。

瀬名は巷で言われるような悪女だったのか?
なぜ殺されなくてはならなかったのか?

どうする家康でどう描かれるのかを考察していきます。

*2023年6月13日加筆

瀬名(築山殿)は10代で家康と結婚

瀬名(築山殿)は今川氏の重臣である関口親永(ちかなが)の娘として生まれました。

瀬名は色白の美貌の持ち主だったと言われ、1557年に今川家の人質として駿府にいた徳川家康(当時の名は松平元信)と結婚。

この時家康はわずか満15歳、瀬名も同年代(1~2歳上だったとの説も)。

結婚して2年後には嫡男となる信康、その翌年には長女の亀姫の二児が産まれているので、ずいぶん若くして親となった訳です。

この頃の瀬名が一番幸せだったのかも知れません。

色白の美人、瀬名姫(築山殿)

桶狭間の戦いから瀬名(築山殿)の激動の運命が動き出す

1560年の桶狭間の戦いを機に家康が織田信長と手を結んだ事から、今川家に仕えていた瀬名の一家の運命は変わっていきます。

今川家から見ると裏切り行為であり、なにしろ桶狭間では君主の今川義元が殺された訳ですから怒りも相当なものだったでしょう。

激怒した今川氏真(今川義元の子)により関口親永は「裏切り者家康」の義父ということで自害に追い込まれます。

瀬名も同様の理由で今川家の人質になりますが、人質交換でなんとか家康の居る岡崎に逃れることに。

しかし岡崎に逃れた瀬名は、家康の母である於大の方と仲が良くなかったと言われていて、家康の居る岡崎城には住めませんでした。

嫡男の信康が織田信長の長女、五徳と1567年に結婚して3年後にようやく岡崎城への入城を許されたと言われています。

瀬名/信康と徳姫の確執、徳姫の信長への訴状

信康と五徳の間には二人の娘(登久姫、熊姫)が誕生。

しかし五徳に跡取りとなる男児が生まれないことを心配し、瀬名(築山殿)は信康に何人かの側室を迎えさせます。

当時とすれば当然のことだった訳ですが、五徳からすれば面白くありません。

信長の娘というプライドもあったでしょう。

ここから瀬名(築山殿)と五徳との関係がこじれ始め、同時に五徳と信康の関係も悪化していきます。

そんな中、五徳は天正7年(1579年)、父親である織田信長に対し十二ヶ条の訴状(1579年)を送ったのです。

この訴状には信康が武田家と内通していた、築山殿が篤姫の讒言を信康にしたなど、12か条にも亘る密告(告げ口、悪口の類でしょうね)がされます

この訴状の真偽は不明で、濡れ衣説も多数ある様です。

織田信長からの信康切腹命令

この訴状を受け取った信長は、そのとき安土城に滞在していた徳川家重臣の酒井忠次(大森南朋さん演じる)を呼び問い質します。

訴状を肯定すれば徳川家の嫡子が謀反を企てていることを認めることとなる、

否定すれば信長の娘が嘘をついていると指摘することになる、

酒井忠次からすれば何も答えることはできません(そりゃあそうですよね)。

信長も可愛い自分の娘からの訴えを疑うことはなかったでしょうから、五徳が訴状を送った時点で事態は決まっていたのでしょうね。

結果、信長は五徳の訴え(信康が武田と通じていること)を真実と見做し、家康に対して信康を切腹させるよう命じます。

信康切腹の動きに巻き込まれた瀬名(築山殿)が殺害される

家康は悩みますが、織田家に従属する徳川家が信長の命に背くことはできず、苦渋の決断の上に受け入れます。

信康切腹の流れが進んでいることを知った瀬名(築山殿)は、その助命嘆願のため岡崎城から浜松城に暮らす家康の元に向かいます。

子を想う母の気持ちですね。

しかしその道中の天正7年(1579年)8月29日、築山殿は遠江国の佐鳴湖に近い小藪村(現在の浜松市中区富塚町)で、家康の命により同行していた野中重政らによって徳川家の為に自害する様迫られる。

瀬名は自害を拒みますが、野中重政により首をはねられました。
(築山殿事件、享年38~39歳と言われています)

信康も直後の天正9年(1579年)9月15日、二俣城において切腹して果てます(享年21歳)。

瀬名(築山殿)は悪女だったのか?

瀬名(築山殿)の殺害が家康の命令によるとする説、
徳川家の将来を危惧した野中重政らによる独断で行われたという説、
の両方が存在します。

いずれにしてもきっかけとなったのは五徳の訴状と、それに端を発する信長による信康切腹命令。

信長の命令に背く訳にいかない家康にとってはどう転んでも難しい判断だったのでしょう。

武田家との内通があった、家康と信康の親子間の対立、そこに瀬名が絡んでいたなど諸説伝えられていますが、実際にそれらに瀬名が関わったという記述はどこにも残っていません。

瀬名は傲慢で嫉妬深い女、悪女のイメージも一部では伝わっていますが(どうする家康では違う瀬名像があがかれています)、これらも家康を正当化(正妻を殺害させたことの言い訳)するために、後に創作された可能性が大きい様です。

切腹を命じられた息子を命を懸けてでも助けようとした、普通の母親だったのではないでしょうか?

どうする家康で瀬名(築山殿)はどう描かれるのか?

信康の処遇に引きずられる様に殺害される運命に至った瀬名(築山殿)ですが、「どうする家康」では有村架純さんがどう演じる(どう描かれる)のでしょうか?

有村架純さん演じる瀬名

有村架純さんがインタビューの中で、

「瀬名には悪女という印象があるが、脚本家の古沢良太さんが描かれる瀬名は”実はそうじゃなかったのではないか”というところに着目して脚本を書かれている」

と話しています。

また「瀬名が家康に向ける母性の方が子供に向けるものより大きいんじゃないか」とも述べています。

無邪気で明るい雰囲気だった若き瀬名、
成長して芯の通った女性となった瀬名、
が懸命に家康のことを考えているところを見ると「家康に強い母性を持つ瀬名」というストーリーに沿ってきている感じはしますね?

それではなぜ家康は瀬名を殺害せざるを得ないところに追い込まれるのか?

家康の葛藤や決断がどう描かれるのか?

その時に家康と瀬名はどういった気持ちで結ばれているのか?
離れているのか?

これからの放送の中でどう描かれるのか、楽しみがいっぱいです。

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