陽の光を浴びられない新貝海陽(うみひ)くん、難病克服へ「全ての浜松市民に知って欲しい」

浜松だより

陽の光を浴びられないという、治療法の見つかっていない難病の新貝海陽(うみひ)くんは来月にやっと2才になる浜松市に住む男の子。

2022年10月3日(月)放送の「NNNドキュメント」で、「太陽と海陽 陽の光を浴びられない男の子」で取り上げられ、続けて翌週10日にもミヤネ屋で海陽くんのことが紹介されました。

このまま行くと20才まで生きられない可能性がある難病で、病気のメカニズムもまだわかっていません。

ご両親は、「治療法が見つかるには多くの人に知ってもらい、病気に対する理解が進むこと」だとして、お母さんの真夕さんは「今住んでいる浜松市の全ての人に海陽をわかって欲しい」と訴えられました。

https://www.instagram.com/umihi2020.11.05/

新貝海陽(しんがい・うみひ)くんはもうすぐ2才の男の子

静岡県浜松市に住む新貝海陽くん。

2020年11月5日午生まれのもうすぐ2才になる男の子。

スポーツジムを経営するお父さんの新貝篤司さん、奥さんの真夕さんの間に、三兄弟の末っ子として生まれました。

(お姉ちゃん、お兄ちゃんがいます)

新貝さんの5人家族 (20) 海陽 (@umihi_20201105) / Twitter

「海を照らす太陽の様に輝く人」という願いを込めて、海陽と名付けられたそうです。

ところが生後2か月で、太陽の光を浴びて皮膚に火傷のような症状が出て、その時に指定難病「色素性乾皮症(しきそせいかんぴしょう)」と診断されました。

海陽くんのその時の写真を見ると、痛々しく火ぶくれの様で、その時は治るのに1か月ほどかかったそうです。

海陽 #難病に負けるな(@umihi2020.11.05) • Instagram写真と動画

治療法はなく、外出時は防護服を着用し、紫外線を避ける生活を続けています。

それ以上に深刻なのが、太陽を浴びない生活を続けても6歳頃から身体機能が低下し、脳が萎縮し始め、20歳まで生きられない可能性言われていること。

そんな中でも海陽くんは家族に囲まれて、あどけない笑顔で成長をしてきています。

海陽くんの病気「色素性乾皮症」とは?

「色素性乾皮症」は国の難病に指定されており、国内の患者数は推定600人と非常に少なく治療法は見つかっていません。

日光を浴びた部分の皮膚にしみがたくさん生じ、皮膚が乾燥し、皮膚がんが普通の人の数千倍多く生じる病気。

「A-G群およびV型の8群のタイプ」があり、日本で55%と最も多い比率を占めるA群には神経症状が現れるそう(海陽くんもこのタイプの様です)。

運動機能のピークが6歳頃、次第に転びやすいなどの神経症状が出始める。

学童期前半で聴力レベルの低下が見られ、学童期後半では補聴器装用が必要に。

知的障害の進行と聴力低下に伴い15歳ころに言語機能は消失、体のバランスを保ちにくいことも特徴でよく転びます。

20歳ごろには高度の歩行障害、誤嚥等が頻発するという困難な病気です。

色素性乾皮症(指定難病159) – 難病情報センター

新貝海陽くんの家族の生活

日光を浴びれない海陽くんのために、5人家族が頑張っています。

家の窓や、車の窓には紫外線を通さない特殊なフィルム。

海陽くんの被る防護服は真夕さんの手作りで、すぐに傷むのでもう6着目。

篤司さんは常に紫外線測定器を常に手に持ち、常に紫外線量を気にしています。

日没からが家族の時間とばかり、「ゴールデンタイム」と呼んで家族で公園に出かけたり。

山あいの川沿いでの家族での初めてのキャンプ、家族旅行でユニバーサルスタジオジャパンに行った時の様子が紹介されていました。

お父さんもお母さんも、「治療」と「家族の楽しみ」をどうしていくか、苦労されている様子が見て取れました。

海陽くんのお兄ちゃん・お姉ちゃんも遊びたい盛りでしょうが、海陽くんのために一緒に何かやったり、我慢したり。

家族の一致団結具合が画面から伝わってきました。

新貝海陽くんの治療への取組み

「6歳から症状が出始める」「20歳までしか生きられない」という話を病院の先生から聞き、ショックの大きさは計り知れなかったと思います。

この病気は遺伝性ということ。

たまたまお父さんの染色体とお母さんの染色体の組合せで、海陽くんが病気になってしまったようです。

真夕さんは「遺伝だから100%主人と私の責任」と言いつつ、諦めることなく夫婦で治療法を探す日々。

症状が難聴から始まるということで、常に聴力検査を欠かしません。

篤司さんは時間が迫る中で色々な大学病院の先生などの話を聞きに行くなど、出来ることは何でもやろうとされています。

「病気のメカニズムがまだわかっていない」「薬の開発には500-1000億円必要」「治験などで6年、7年と時間がかかる」と厳しい話もありますが、だからこそ世の中のこの病気の理解が必要だと篤司さんは思われています。

新貝海陽くんの未来に向けて

真夕さんは海陽くんが病気の治療だけでなく、普通の生活も経験して欲しいと入園希望を持って市内のアソカ城北幼稚園を訪問。

園内を案内してもらい、園長先生から「配慮はするけど特別扱いはしない」「一緒に育ち合う」「他の子供も海陽くんから学べることもある」と2年後の入園を快く了解してもらいます。

ご両親は困難な状況の中で悩みながらも、前に進んでいます。

印象的だった言葉は「奇跡を待つのは嫌なので、動いたパパとママでいたい」。

本当に前向きな姿勢に頭が下がります。

ご両親の思うことは「この病気のことを多くの人に知ってもらい治療の道を探したい」ということ。

そして真夕さんは「今住んでいる浜松市の全ての人に海陽をわかって欲しい」と言われています。

多少でも浜松市民に伝わる様に、このブログでも海陽くんのことをシェアさせていただきました。

医療の進歩で早く海陽くんの病気の治療方法が出てくることを祈りたいと思います。

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