2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の浜松市「大河ドラマ館」建設が浜松城公園の傍で着々と進んでいます。
この場所は徳川家康の足跡が残る土地であり、周囲にも数々の観光ポイントがあるなど、浜松観光振興の点からも絶好のロケーションだと言えます。
ここには以前、旧・元城小学校があって、そこで130年以上前に日本の歴史の1ページを飾る出来事がありました。
この旧・元城小学校は、現在隆盛を誇る「日本の楽器産業」が産まれるきっかけを作った学校なのです。
「日本の楽器産業」誕生の物語をお伝えします。
浜松大河ドラマ館が建つ旧・元城小学校の歴史
浜松市立「元城小学校」は、静岡県浜松市中区元城町に位置していた公立の小学校でした。
開校は明治6年に「第一番小学校」として設立(後に「浜松尋常小学校」、戦後には「浜松市立元城小学校」と名前が変遷していきます)。
名前からも明らかな様に一番目の小学校、浜松市で最も古い歴史を持つ伝統校でした。
立地は浜松城のすぐ前、浜松城公園の東側に隣接(と言うより公園の中にあったと言う方が適当でしょう)、市役所も南隣にあって、まさに浜松の中心にある小学校でした。
しかし好立地ゆえの市街地のドーナツ化現象や少子化により児童数が大きく減少、近隣の学校との統合により2017年3月に惜しくも閉校となりました。
この「元城小学校」こそが、現在の日本の楽器産業の隆盛に結びつく、世界最大の総合楽器メーカー、ヤマハの誕生のきっかけを作った場所なのです。
※元城小学校のブログはまだ残っています☞ 浜松市立元城小学校 (hamamatsu-szo.ed.jp)
ヤマハの創業者、山葉寅楠(やまはとらくす)の浜松赴任
山葉寅楠(1851年 – 1916年)は、日本楽器製造株式会社(現在のヤマハ株式会社)の創業者。
現在の「ヤマハ」の社名はもちろん山葉寅楠の名に由来しています。
日本における初期のオルガン製造者の一人であり、日本のピアノ製造業の創始者の一人。
紀州藩の下級武士の三男として生まれ、父が紀州藩で天文係を務めていたこともあり、幼少期から機械いじりが得意で、明治維新後には長崎に出て英国人のもとで時計の修繕法を学びます。
その後大阪の医療器具店に勤めるようになり、1884年から浜松支店に駐在します。
浜松では本業の医療器具の修理のみならず、時計をはじめとした多種多様の機械器具全般の修理を請け負っていたようです。
山葉寅楠の元城小学校でのオルガン修理
寅楠が浜松に滞在していた1887年、浜松尋常小学校(旧・元城小学校)にあったアメリカ製オルガンの修理をしたのが大きな転機となりました。
寅楠は修理の際にオルガンの構造を模写し、「これなら自分に扱える」と思ったそうです。
浜松尋常小学校のアメリカから輸入されたリードオルガンが当時45円であったのに対し「自分は3円で造る自信がある」とオルガン作りに乗り出すのです。
浜松で飾り職人をしていた河合喜三郎と協力し2ヶ月後にオルガンを完成、しかし浜松や静岡の学校で試してもらったものの評価は低かった。
そこで東京の音楽取調所(現東京藝術大学)で、自分たちのオルガンを見てもらうことにします。
まだ東海道線が全通していなかった当時、二人はなんと天秤棒でオルガンを担ぎ、歩いて箱根峠を越えての上京だったそうです。
最初は持っていったオルガンに「不合格」の判定をもらったそうですが、寅楠は1ヶ月かけて音楽取調所で音楽理論を学ぶなどして改良を重ね、1889年には合資会社山葉風琴製造所を設立するまでに至ります。
旧・元城小学校でのオルガン修理から会社設立まで僅か2年!
このスピード感もすごいですし、なにより箱根の山をオルガンを担いで超えるという、バイタリティーという言葉では全然足りない、「死に物狂いさ」には本当に敬服します。
また「旧・元城小学校」x「オルガンの故障」x「山葉寅楠の浜松赴任」という組合せがなかったら、もしかしたら日本の楽器産業は産まれなかったのかも知れません。
浜松の楽器産業は日本の楽器産業
ここから山葉の会社は発展し後に社名はヤマハ株式会社となり、世界最大の総合楽器メーカーになりました。
同じく市内に本社のある河合楽器も、日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)に勤務していた河合小市が1927年に独立し設立、ピアノ販売で世界2位。
電子楽器大手のローランドも浜松に本社を置きます。
こうして浜松市は「楽器の町」「音楽の町」となりました。
市内には楽器博物館があり、ランドマークである45階建てのアクトシティーはハーモニカをかたどり(エレベータードアには楽譜が描かれている)、世界的となってきた浜松国際ピアノコンクールが開催されるなど、ますます音楽にゆかりの町となってきています。
日本の楽器出荷額では静岡県が68%(2013年)、その大半は浜松市。
まさに浜松の楽器産業が日本の楽器産業そのものだとまで言える様になりました。
浜松大河ドラマ館で見えるのは「どうする家康」だけではない
浜松大河ドラマ館では「どうする家康」ゆかりの展示がされます。
それはとても興味深いものになるでしょう。
しかしもしあなたが音楽関係者、楽器関係者であれば、この地に来たら遥か130年以上前に、この敷地のどこかに置かれていたオルガンを修理する山葉寅楠に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
そして今の日本(そして浜松)の音楽・楽器産業の隆盛につながった彼の功績に感謝することは意味のあることなのかもしれません。
いろいろな意味で浜松大河ドラマ館には楽しみが待っています。
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